San Martino su The Cuisine Press- Rivista Giapponese by Paolo Massobrio

vol.26 ピエモンテ州モンフェッラートのサステナブル農業経営者 text by Paolo Massobrio translation by Motoko Iwasaki 夢を実現させるのに不可欠な「合理性」「活力」「真心」をもつ男 ウンベルト・シニョリーニ、76歳。彼はミラノで企業家として不動の地位を獲得していた。 既に60年代には企業運営コンサルティングの分野で、特に人事管理指導に頭角を現し、まもなく起業。社員数700名、イタリアのトップ企業から多国籍企業までがクライアントとして名を連ね、この分野におけるリーダー的企業の創始者であり代表を勤めあげた男、としての彼と僕は面識があった。 ところが共通の友人を介し、モンフェッラートで再びその姿を目にした時、彼は循環型経済のモデルタイプとなる農業法人の経営者に転身していた。 穀物栽培の過程で出る廃棄物を、嫌気性発酵により環境へ負担がない状況で継続的エネルギーに変換させることに成功すると、次にヤギを飼い始め、今度はヤギのチーズやその他の副産物を生産するのだと言う。 76歳にして彼の生気は微塵も衰えず、「世の中を変えたければ、まず人を育てることから」という固い信念の下、地域に対し雇用機会を与えるだけはなく、雇用者に企業経営のノウハウを身につけてもらうことでモンフェッラートのこの地域を活性化をさせてみせると言い切った。 親愛なる「The Cuisine Press/Web料理通信」の読者諸君、これまで僕は大地や伝統との絆が深い優れた生産者たちを好んで紹介してきたが、今回は少し違う。いや、そういう性質だって彼は十分に備えているさ。だが、ビジネスで一旗挙げたが都会の慌しい生活や喧騒に疲れ、財を投じて田舎で別の商売を始めた人の話とは全く別ものだ。 ユートピアや絵空事で終わらせず、自分の夢を実現させるのに不可欠な「合理性」「活力」、さらには「真心」をテーマに今回は話をしたい。 地域への愛情表現としてビジネスを興す 舞台はピエモンテ州カザーレ・モンフェッラート(Casale Monferrato)やアレッサンドリア(Alessandria)に程近いオッチミアーノ(Occimiano)村。丘陵の麓にある平地で、地域特産のワイン用のブドウは栽培されず、麦やトウモロコシなど他の作物が栽培されている。 ここで家畜用厩舎、穀類の乾燥所、そしてバイオマス発電所で構成される農業法人サン・マルティーノ(Società Agricola San Martino)の代表となったウンベルトは、僕との約束の時間ピッタリに現地に到着。僕を事務所に案内すると、敷地の航空写真を指で辿りながら説明してくれた。 事の起こりは1992年、田舎に別荘を購入することになり、丘の上にあるクワルニェント(Quargnento)村でモンフェッラートの素晴らしい景色が一望できる1800年代の館を見つけて購入、改築をした。 そこからの絶景を楽しんでいるうちに、この地域が愛おしくなってきた。当然ながら、景色を愛おしむだけで満足する男ではない。日に日に増すその愛を表現するのには行動を起こすしかない。自分に可能な限りの「貢献」を地域にもたらさなければ! その熱い信条を僕に語るうちにウンベルトはどんどん饒舌になっていく。 「私が築いた結果の数値や外観に人は驚く。だがね、それらの全てをしっかり結んでいるものは、目には見えない『人の道徳的価値観』だ。これなしにはすぐバラバラになる!」 「真の豊かさとはね、豊かさの未だない国や地域にこそ築くことができる。」 古き良きミラネーゼらしい実直な言葉が滔々と彼の口を突いてでる。 「体は至って健康、財も成した。だがね、僕の人生、他はどれをとっても無茶苦茶だ!」 「他にすることがないからこの農業法人を作ったようなもんだ!」 彼自身はそう言っても、僕にはわかる。 過去の企業経営と同様にここでも、生産プロセスについて妥協を許さない“完全統制”をまず行う。その上で新しい発想やビジネスチャンスを最終ステップまで想定し、確信を得てから着手することで、極端にさえ見える計画を着実に実現してきたのだと。 このサン・マルティーノ社設立にあたっての理念は「世界の未来を農業、情報処理とエネルギーで築く」。さらに、地域の環境破壊を避けるため、既存の建造物の利用は特に重視した。 生み出されてしまったものは無駄にしない。何にでも大きな価値を生むことが出来る。だがそのための成長過程で人、環境、地域の歴史に如何なる損失をも与えてはならない。 オッチミアーノは、人々から半ば忘れられた村だった。丘の上の風光明媚な地区と違い、モンフェッラートの食文化を語るときも、この村が取り上げられることはない。人口は激減の一途を辿るばかり。使えるのに半ば放置されたバイオマス発電所、からっぽになった肥育牛舎、売りに出されていた耕作放棄地、ウンベルトは、その一帯にあったもの全てを買い取った。 2013年10月、彼自らがフォーマットを起こし、農業法人サン・マルティーノは2014年12月31日に操業を始めた。 現在、総面積450ヘクタールで小麦、トウモロコシ、タカキビなどをメインに年間18000トンの穀類を生産。年間に4~6カ月間の嫌気発酵作業で発生するガスを蓄積、利用することにより、環境への影響がない状態で1千キロワットの発電が可能になり、電力を販売。発酵後に残った滓の固形部分は自然肥料としての利用に最適で、液体部分も、吸い取って畑に散布する。 なぜヤギを? 厩舎があって、家畜飼料となる穀類を生産するのだから家畜を飼って当然だろう。だが、ここでも“経営上の観点”から考え、ヤギの飼育がこの場合最も適しているという結論に達した。乳量が多く、屋内での飼育に適したサーネン種を主体に、栄養分のより高い乳が得られるカモシャータ・デッレ・アルピ種も一緒に飼育することした。 現在、オッチミアーノ村とルー・モンフェッラート(Lu Monferrato)村の2カ所にある飼育施設で約1600匹のヤギが幸せに飼われており、年間100万リットルのヤギ乳を生産しているが、そのうちの20%をチーズの生産に利用している。 清掃の行き届いた厩舎、72基の搾乳機が稼動する搾乳室、授乳施設、受精用雄ヤギの飼育施設、どの施設も完璧だった。これらの施設から出される廃棄物は、敷き藁なども含め、全て発電のための発酵に用いられる。 ヤギは、その人生を終えれば、肉はサラミやヴィオリーノ・ディ・カプラ(モモ肉の燻製)、アニョロッティ(モンフェッラート伝統のラヴィオリ)などに用いられ、皮は、腕の良いなめし革業者を見つけ、ファッション衣料や家具の素材として利用を可能にした。 地域を活性化したければ、雇用の場だけでなく事業主を育てねばならない この間にもウンベルトは、自分に残された時間には限りがあると、ピエモンテ州初のヤギ飼育家組合を結成、ファッション産業用素材や仔ヤギ肉について、各市場での足固めとなる保護認定とブランド化を進めるため、飼育農家の取りまとめに努力を惜しまない。 「私は全てにチェックの目を光らせている。けど、僕自身は仕事はしない」。そう言ってウンベルトは笑った。 彼の下で働く従業員は16名、うち大卒者はヤギの飼育責任者、獣医、発電部門担当技術者、そして総務担当者の4人だ。 「一つの地域を活性化したいと思ったら、その地域に雇用の場を作るだけではなく事業者を育てなくてはダメだ。今のところ、彼らはまだ自分自身の雇い主でしかない。が、彼らこそがいつか私に代わる人材にならなくては。私は明日には何処かに逃亡するかもしれないし、死んでしまうかもしれない。だが、この会社はこれからも生き残らなければならないのだから!」 ヤギのチーズを、クワルニェントにあるウンベルトの自宅で試食した。彼は生乳から作る白カビタイプ、ウォッシュタイプ、そしてフレッシュタイプの3種類を熟成期間で変化をつけて生産していて、今年の10月から市場でも販売される予定だ。 この地域には今でも、一般的な地下室のさらにその地下深くに石灰質の岩盤を刳りぬいて作った伝統的な貯蔵庫(インフェルノットinfernot)が残っている家がある。彼の邸宅にもインフェルノット(infernot)があって、現在改装中。完成すれば、長期熟成タイプのチーズはそこで熟成される予定だ。室温、湿度ともに最高の保存条件を自然に整えてくれるから、チーズの熟成にこれ以上のものは望めない。 ウンベルトはチーズを1種類ずつ口に含み、味覚の特徴からレンネットの種類、凝固温度といった具合に、その生産工程を解き明かす。彼はここではチーズ生産者の顔になっていた。クリーミーにして複雑な味わいの奥に、健康で美味しいミルクの味わいを感じた。…